
Hawaiian Music Archive / Chapter 1
家族、友人、現場から育った音楽のルーツ
Kama HopkinsさんとKeao Costaさんの対談第1話。Genoa Keaweへつながる家族の音楽、Keola Chanさんとの車内ʻukulele講習、Kamuela Kimokeoさんとの出会い、Doug Tolentinoさんからの学び、そしてHolunapeへつながる歩みを記録します。
対談動画
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企画名Hawaiian Music ArchiveLani Recordsがハワイアン音楽の背景や継承を記録していくシリーズ名。本文全体の器になる言葉。 の始動にあたって
記念すべき第1弾は、オアフ島西海岸のリゾート、施設 / 地名Aulaniオアフ島西側のリゾートとして登場。今回の対談が撮影された場所で、記事冒頭の舞台設定になる。で撮影された、ハワイアンミュージシャン・文化語文化教育者音楽だけでなく、文化や価値観を伝える役割を持つ人を指す表現。Kamaさんの活動範囲を示す。である人物Kama Hopkins(カマ・ホプキンス)Holunapeなどで活動するハワイアンミュージシャン。本記事では、家族・現場・師弟関係をつなぐ語り手。さんと、人物Keao Costa(ケアオ・コスタ)Nā Palapalaiのオリジナルメンバーとして知られる歌手・ベーシスト。本対談では聞き手として記憶を引き出す。さんによる特別な対談です。
単なる音楽の枠を超え、家族の絆、文化語kūpuna祖父母・先祖・年長者を指すハワイ語。音楽が生活の中で年長世代から受け渡される感覚を読む鍵。から受け継がれる記憶、そして現場での泥臭くも愛おしい学びの歴史が語られます。彼らの言葉を通じて、音楽用語ハワイアンミュージックハワイの土地、言葉、家族、フラと結びついた音楽。本文では生活の中で受け継がれるものとして語られる。の本質に触れてみてください。
偉大なる歌姫の血筋、文化語Adolpho家Aunty GenoaやKamaさんの家族系譜として語られる名前。音楽が血縁と生活の中で続いてきたことを示す。の記憶
ハワイ語 / 文化語Aloha挨拶として使われるハワイ語。愛、親しみ、敬意の感覚も含み、対談冒頭の空気を作る言葉。、Lani Recordsへようこそ。今日は地名オアフ島西側今回の対談が撮影されたAulaniのあるエリア。観光地の華やかさと、音楽家の語りの場をつなぐ背景になる。のAulaniに、Kama Hopkinsさんをお迎えしています。
Kamaさんのご家族の暮らしや、島中の誰もが知っている深い音楽的影響、そして伝統について伺っていきたいと思います。まず、ご家族の中で最初に本格的に音楽を始められたのはどなたですか?
そうですね。僕の世代から見た家族の歴史と育ち方を少しお話しします。
ハワイアン音楽が好きな多くの方は、伝説的な歌手である人物Aunty Genoa Keawe20世紀後半のハワイアン音楽を代表する歌手。ファルセットや長い音を保つ歌唱で知られ、現代フラにも影響。をご存じだと思います。僕は本当に幸運なことに、そのAunty Genoaの一番上のお姉さんである人物EstherAunty Genoaの一番上の姉で、Kamaさんの曾祖母として登場。家族の音楽的血筋を説明する人物。が、僕の曾祖母にあたる環境に生まれました。彼女たちは皆、地名マウイ島ハワイ諸島の島のひとつ。本文ではAdolpho家系のルーツに関わる土地として名前が挙がる。や地名モロカイ島ハワイ諸島の島のひとつ。本文ではAdolpho家系のルーツに関わる土地として登場する。にルーツを持つ名門家系 / 固有名詞Adolpho家系Aunty GenoaやKamaさんの家族系譜として本文に登場。音楽が家族と生活の中で続いてきたことを示す。の出身です。
僕らが育つ中で、祖母の人物Momi BeeKamaさんの祖母として語られる歌い手。The Bee Sistersの一員という家族史の接点で、音楽の継承を象徴。がどう音楽を始めたかというストーリーをよく聞かされました。祖母はグループThe Bee SistersKamaさんの祖母Momi Beeが加わっていた三姉妹グループとして登場。家族史と「Hukilau」の録音史をつなぐ存在。という三姉妹のグループの一員だったんです。
ハワイの有名な曲に「曲名We’re Going to a Hukilauハワイの共同漁“hukilau”を題材にした有名曲。ここでは、家族の録音史とハワイアン音楽の広がりを示す語。」がありますよね。あの曲を世界で最初にレコーディングしたのが、彼女たちと盲目の天才作曲家人物John Kameaaloha Almeida“Dean of Hawaiian Music”と呼ばれた作曲家・演奏家。多くのメレを残し、本文ではThe Bee Sistersとの録音で登場。だったんです。
僕たち子どもにとって、祖父母の家で過ごす時間はごく当たり前の日常でした。「ハワイの文化が危機に瀕している」なんて、当時の僕らはこれっぽっちも思っていませんでした。それほど文化が生活に溶け込んでいたんです。
祖母は94歳で亡くなるまで、70年以上もプロとして、あるいはそれ以前からずっと歌い、音楽を演奏し続けていました。
さらに、僕の父方である家系 / 固有名詞Hopkins側Kamaさんの父方の家系を指す表現。Adolpho家系だけでなく、父方にも音楽家がいたことを示す。も同じように愉快な音楽家たちでした。祖父の姉妹である人物Auntie NoenoeKamaさんの祖父の姉妹として登場。Halekulani Girlsの一員だった作曲家・演奏家として語られる。は、当時の地名ワイキキオアフ島ホノルルの代表的エリア。本文では昔の音楽シーンやShore Birdでの演奏場所として登場する。の音楽シーンを彩ったグループHalekulani GirlsAuntie Noenoeが所属していたグループとして登場。ワイキキの音楽シーンを彩った存在として語られる。の一員として活躍した作曲家であり、演奏家でした。このように、僕の人生のすべては、常に音楽と文化語 / 舞踊フラハワイの踊りで、歌やメレと深く結びつく表現文化。本文ではKamaさんの人生を囲んでいたものとして登場。に囲まれていました。
「近すぎて嫌いだった」音楽が生活の一部になるまで
でもね、面白いことに、子どもの頃の僕は音楽に何の関係も持ちたくなかったんです。
(笑)
だって、あまりにも身近すぎたから。
誕生日や祝日が来ても、僕らはケーキを食べることも、プレゼントを開けることもできませんでした。なぜなら、祖母がいつもどこかで音楽を演奏していたから。
僕たちは、祖母が夜遅くに演奏を終えて家に帰ってくるのをひたすら待たなければならず、時にはお祝いが翌日になることだって日常茶飯事だったんです。だから、子どもの頃は音楽が少し恨めしかった。
けれど、成長するにつれて自然と道が変わっていきました。施設Kamehameha SchoolsNative Hawaiian教育を支える名門校。Kamaさんにとって、歌・フラ・文化的学びが学校生活へ広がる節目。に通うようになり、Keaoの叔父さんのもとでフラを踊り、学校を出てからは伝統ある団体 / 音楽用語Concert Glee Club学校卒業後にKamaさんが歌った合唱団として登場。歌うことが生活の一部になる流れを示す。で歌うようになりました。
さらに父は、僕を音楽用語バーバーショップ・ミュージック4声のハーモニーを特徴とする歌唱スタイル。Kamaさんが中学生の頃からハモっていた背景になる。の音楽用語クァルテット4人編成のこと。本文ではバーバーショップ・ミュージックのグループ編成として使われている。に連れて行ってくれたので、中学生の頃にはすでにハモって歌っていました。歌うことは、僕の生活の完全な一部になっていたんです。
ただ、その時点では「歌うこと」が専門で、楽器の「演奏」はほとんど学んでいませんでした。転機が訪れたのは、施設Polynesian Cultural Centerオアフ島のポリネシア文化体験施設。Kamaさんが親族のもとで働き、ʻukuleleを弾く機会を得た転機の場所。で、当時はまだよく知らなかった親族の人物Cy M. BridgesPolynesian Cultural CenterでKamaさんが働いた親族として登場。文化教育の現場へつながる人物。のもとで働くようになってからです。そこで僕は、音楽用語ʻukulele(ウクレレ)ハワイアン音楽の伴奏を支える4弦楽器。本文では、歌い手だったKamaさんが演奏者へ変わるきっかけ。を大量に弾く機会に恵まれました。
地名Kāneʻoheオアフ島ウィンドワード側の町。車中のʻukulele講習の出発点で、Waikīkīまでの距離感が臨場感を生む。から地名Waikīkīワイキキのハワイ語表記。Kāneʻoheから向かう演奏現場として、車内レッスンの目的地になる。への30分。決死のʻukulele講習
本格的に演奏のキャリアが始まったのは、2000年代初頭のことです。
友人の人物Keola ChanKamaさんをShore Birdでの演奏に誘った友人として登場。車内でʻukuleleを教える重要なきっかけを作る。が、僕がいとこの人物PomaikaʻiKamaさんが一緒に歌っていたいとことして登場。Keola ChanがKamaさんの歌を聴くきっかけになる人物。と一緒に歌っているのを聴いて、「Waikīkīの施設Shore Bird RestaurantかつてOutrigger Reef内にあったWaikīkīの老舗レストラン。Kamaさんが実地で演奏を始めたライブ現場。で一緒に演奏しないか」と誘ってくれたんです。
Keolaは、僕の親族である人物Uncle GaryKeolaが思い描いていた古いスタイルの演奏者として登場。Kamaさんの親族にあたる人物。や人物Uncle SamUncle Garyと並んで、古き良きハワイアン音楽の例として登場するKamaさんの親族。が弾き語っていたような、古き良き音楽用語オールドスタイルのハワイアン音楽古き良き弾き語りや現場感を含む表現。Shore BirdでKeolaがやりたかった音楽性を示す。をShore Birdでやりたかったんだと思います。
ある夜、彼が僕を車で迎えに来て、現場へ向かう途中のことでした。運転中のKeolaがこう言ったんです。
よし、今夜はこの音楽用語キー曲の調を指す言葉。本文では「今夜はこのキーで」と言われ、Kamaさんが現場対応を迫られる。で、これらの曲をやるぞ。ここで音楽用語swing vamp曲の導入や節のつなぎ、フラの合図にも使われる短いコード進行。Kamaさんの“現場で覚える”学びを象徴。を入れてくれ。
僕は彼を見て言いました。
……swing vampって何?
Keolaは信じられないという顔で僕を見つめました。
おいおい、お前はあのMomi Beeの孫で、あんなに綺麗に歌えるのに、音楽用語コード複数の音を重ねた和音。Kamaさんがʻukuleleで伴奏を弾くために急いで覚える必要があったもの。が弾けないのか!?
僕は「歌えるけど、楽器は弾けないんだ」と返しました。
ここからの話は危ないから絶対に真似しないでほしいのですが(笑)、彼はマニュアル車のVolkswagen vanを運転していたんです。
Keolaはギアシフトを操りながら、自分の膝でハンドルを固定し、「俺にʻukuleleを渡せ!」と言いました。
そして、KāneʻoheからWaikīkīへと高速道路を疾走する車内で、ʻukuleleをジャカジャカと弾きながら、「このコードをこう押さえるんだ!」と僕に教え始めたんです。
僕がʻukuleleを受け取って試すと、「違う、こうだ!」とまたハンドルを膝で押さえながら手本を見せる。
KāneʻoheからWaikīkīまでは、車でわずか30分ちょっと。まさに、人生で最もスリリングで、最も急速なʻukulele講習でした。
その夜、僕は普段絶対に弾かないようなキーの曲を、彼にその場で教わったコードだけで必死に演奏しきりました。大変だったけれど、言葉にできないほどエキサイティングで楽しい夜でした。
錆びたトラックと、ゼロから引き上げられた才能
その初日の夜が終わったあと、Keolaは「お前、本当にちゃんとʻukuleleを学べ」と、ある友人の家へ僕を送り込みました。
「誰にも言うなよ」と言われていたんですが……実は、人物Kamuela Kimokeo音楽家・教育者として知られるʻukulele/ギター奏者。本文ではKamaさんを短期間で実戦へ導いた相棒・師匠。の家だったんです。
Kamuelaの父親である人物Wayne “Kimo” KimokeoKamuelaの父として登場。Keolaの相談を受け、Kamaさんの指導をKamuelaに促した人物。が、Keolaからの相談を受けて、息子のKamuelaに僕を指導するよう言いつけてくれたんです。
こうして、僕とKamuelaはShore Birdで共に演奏する相棒になりました。でも、初めて出会った日の面白いエピソードがあります。
当時、僕は叔母から借りた、車体が錆びだらけの古い車名 / 固有名詞日産Kamaさんが叔母から借りていた古いトラックのメーカー名として登場。泥臭い現場感を作る小道具。のトラックに乗っていました。Kamuelaを迎えに行って、そのトラックを見た彼は完全に引いていましたね(笑)。
僕が、
大丈夫だから、音楽用語ギターKamuelaが持っていた楽器として登場。ʻukuleleと並び、Shore Birdでの共演場面を形づくる。は荷台に放り込んで乗って!
と言って高速道路を走らせると、風圧でトラックの錆の破片がパタパタと後ろへ飛んでいくんです。
二人で大爆笑しましたが、Kamuelaは後になって、
この車に乗っていたら、いつか死ぬんじゃないかと思った。
と白状しました。
しかも、Kamuelaは僕に会うまで、僕のことを「音楽用語ファルセット地声より高い響きを使う歌唱。ハワイアン音楽では重要な声の表現で、Kamuelaの誤解エピソードの鍵。しか歌えないシンガー」だと思い込んでいたらしいんです。
初対面で、初めて音を合わせた時、僕がʻukuleleを構えて音楽用語地声ファルセットではない、自然な声域の歌声。KamuelaがKamaさんの歌に驚く場面の理解に必要。でどっしりと歌い始めた瞬間、Kamuelaは演奏しながら目を丸くして僕を見つめました。
最初の休憩時間に、彼はこう白状してくれました。
実は、一晩中あの高いファルセットだけで歌う人だったら、耳が持たなくて一晩中聴いていられないかもしれない、どうしよう……って不安だったんだ。でも、君の歌を聴いて安心したよ!
それからは、ただ純粋に音楽を合わせ、楽しむだけの最高の時間が続きました。
Kamuelaと、その父親である人物Uncle Kimo(Wayne “Kimo” Kimokeo)Kamuelaの父として登場する指導者。本文では、Kahauanu Lakeの系譜をKamaさんへ橋渡しした人物として重要。は、教える天才でした。Uncle Kimoは、巨匠人物Kahauanu LakeKahauanu Lake Trioを率いたʻukulele名手。洗練された伴奏とハワイ語への姿勢で後進に大きな影響を与えた人物。の直弟子でもありました。
彼らは僕の演奏スキルを、わずか1か月半から2か月の間に、文字通り「0から90」のレベルまで一気に引き上げてくれたんです。
友から友へ受け継がれる、生きた音楽
演奏の基礎ができたあと、僕はさらにʻukuleleを音楽用語ファインチューニング細部を調整し、演奏をより洗練させること。本文ではʻukuleleの技術を磨く段階を示す。するために、人物Doug TolentinoPaʻahanaのʻukulele奏者・音楽家。本文では、Kamaさんにコード選択や手の使い方の美学を教えた人物。のもとへ通いました。
Dougは、左手と右手の使い方の違い、音楽用語ストラミング弦をかき鳴らす奏法。本文では右手のニュアンスや、ハワイアン音楽らしい伴奏感に関わる。の細かなニュアンス、そして「なぜそのコードを、いつ、どういう理由で押さえるべきなのか」という音楽の理論と美学を徹底的に教えてくれました。
ハワイアン音楽の世界に深く潜っていくと分かりますが、共演するミュージシャンによってスタイルは全く異なります。
相手によっては、複雑なコードを弾くとお互いのスタイルを邪魔してしまうこともある。だからこそ、あえて演奏をシンプルにして相手に寄り添うことも学びました。
それは「下手」なのではなく、異なるスタイルを補い合うというハワイアン音楽の知恵なんです。
こうして実力を蓄えた僕は、2001年頃に名門グループであるグループʻAleʻa受賞歴あるハワイアン音楽グループ。Kamaさんが誘いを受けながら、自分のグループを選ぶ分岐点に登場。のメンバー、人物Ryan “Gonzo” GonzalezʻAleʻaのメンバーとして登場し、Kamaさんを誘った人物。自分のグループに残る決断のきっかけになる。から「うちで弾かないか」と誘いを受けました。
けれど、その時すでに僕はグループKilinaheHolunape以前にKamaさんたちが組んでいたグループ名。後の受賞グループへつながる前史として押さえたい。という独自のグループを組んで活動していました。ベースにKeola Chan、ギターに人物Kekoa KaluhiwaKilinaheのギター担当として本文に登場。Kamaさんの初期グループ活動を支えたメンバーの一人。と人物Kanaiʻa NakamuraKilinaheのギター担当として本文に登場。Kamaさんの初期活動を支えた仲間として名前が挙がる。を擁したグループです。
僕たちは当時、有名レストラン施設The Willowsタレントコンテストが行われたレストランとして登場。Kilinaheの活動が広がる節目の場所。で開催されたタレントコンテストで優勝し、そこでの定期演奏の約束があったため、苦渋の決断でʻAleʻaの誘いを断り、自分たちのグループに残る道を選びました。
その後、メンバーの変遷を経て、音楽用語スチールギター膝上や台上に置いて、バーで音程を滑らせる弦楽器。ハワイアン音楽特有の揺れる響きを作る重要な音色。の名手人物Jeff Au Hoyハワイアン・スチールギター奏者。Holunapeのサウンドが厚みを増していく流れを示す人物として登場。が加わるなどし、最終的にこれらの流れが、僕の音楽キャリアの中心となる受賞グループグループHolunapeKamaさんの音楽キャリアの中心へつながるハワイアン音楽グループ。Kilinaheからの流れを受け継ぐ到達点。の結成へとつながっていきます。
振り返ってみると、本当に不思議で、素晴らしい25年以上の関係です。
僕が2000年から2003年というわずかな期間のなかで、ゼロから100へと一気に駆け上がることができたハワイアンミュージックの知識、そしてʻukuleleの技術。
そのすべてにおいて、最も面白い共通点があるんです。
それは、僕はすべての音楽を、学校ではなく、素晴らしい友人たちとの現場から直接学んだ、ということ。
これこそが、僕の音楽の本当のルーツなんです。
![ラニレコーズ[Lani Records]](https://records.lani.co.jp/wp-content/uploads/2024/04/cropped-Lani-Records.png)