
Hawaiian Music Archive / Chapter 3
歌わなければ、記憶は消えていく
若い頃、人物Kama Hopkins(カマ・ホプキンス)Holunapeなどで活動するハワイアン音楽家。本章では、歌と家族の記憶、先人から受けた現場の教えを語る。は、家族の集まりで歌うことから逃げていたと語ります。けれど、大人になり、そばにいたkūpunaが少しずついなくなっていくと、歌の意味は変わっていきました。 歌は、ただ演奏するものではなくなる。 誰かを思い出すための場所になり、家族の記憶をつなぐ器になり、次の世代へ渡すべきものになっていく。 Chapter 3では、Kamaさんと人物Keao Costa(ケアオ・コスタ)歌手・ベーシストとして活動するハワイアン音楽家。本章では、歌うことと記憶の関係をKamaさんと掘り下げる。が、「歌わなければ消えてしまう記憶」について語ります。
対談動画
字幕は動画プレイヤーの設定から切り替えられます。日本語字幕と、音声をもとに再校正した英語字幕を収録しています。
本人たちの声から、この章を読む
Kamaさんの対談は、音楽家の経歴紹介として読むこともできます。
けれど、この章で立ち上がってくるのは、もっと生活に近い感覚です。家族の集まりで歌われていた曲。誰かが弾いていたパート。いとこに電話すれば思い出せるフレーズ。古い録音を聴き直すことで戻ってくる記憶。
ハワイアン音楽は、譜面や録音だけで残るものではありません。
「あの時、呼称 / 編集上の注意Uncle/Auntieという呼称対談では親族や親しい年長者への呼称として現れる。呼称だけで血縁を断定せず、明示された続柄だけを採る。はどのパートを弾いていたっけ」
「この曲、こんな感じだったよね」
そうやって、人と人の間で何度も呼び戻されることで、生きた記憶として残っていきます。
企画名Hawaiian Music ArchiveLani Recordsが、ハワイアン音楽の背景にある声・記憶・人のつながりを日本語でも記録するシリーズ。は、外側から「ハワイアン音楽とは何か」を定義しきるための企画ではありません。日下貴博さんが企画の原案で大切にしているのは、普段の会話の中に現れる、ハワイの人たち自身の考え方や文化へのまなざしを、できるだけ本人たちの声に近い形で届けることです。
だからこの記事でも、Lani Recordsの編集コメントは補助線にとどめます。まずはKamaさんとKeaoさんが、何を思い出し、どんな言葉で語っているのかを見ていきます。
「彼らが愛した歌を歌う」ということ
冒頭でKeaoさんは、前の章から続くテーマをもう一度掘り下げます。
Kamaさんは若い頃、家族の中にある音楽や伝統の価値を、まだ十分にはわかっていませんでした。家族の集まりではいつも歌がありましたが、本人やいとこたちは、ときにそこから逃げてしまう。
それは、音楽が嫌いだったというより、あまりにも身近すぎたからかもしれません。
けれど、年齢を重ねると、その同じ歌がまったく違って聞こえるようになります。歌っていた人がいなくなる。教えてくれた人がいなくなる。名前を出すだけで思い出があふれる人たちが、もう同じ部屋にはいない。
Keaoさんは、そこでこういう趣旨の言葉を投げかけます。
今、できる一番のことは、彼らが愛した歌を歌うこと。
そうやって、私たちは思い出す。
それに対してKamaさんは、家族の中でその話をよくするのだと語ります。いとこと座って話す。泣くこともある。Keaoさんとも、何度もそういう会話をしてきた。
そして、核心になる言葉が出てきます。
対談内の重要発言歌うことと記憶Kamaさんは、歌われなくなった曲が実際に思い出せなくなる経験を語る。比喩ではなく、本人の家族記憶に基づく発言。
忘れられてしまう。
これは、きれいな比喩ではありません。
Kamaさんは、実際に「もう思い出せない歌」があると話します。「こんな歌だったよね」と言い合っても、もう戻ってこない曲がある。記憶の輪郭だけが残り、音そのものは遠ざかってしまう。
ハワイアン音楽を学ぶ側にいる私たちは、曲名や音楽用語コード(和音)複数の音を同時に響かせる和音。ここでは、曲の流れに合わせて細かく変化させ、歌を支える伴奏の単位。や発音を覚えることに意識が向きがちです。もちろん、それは大切です。けれどKamaさんの話は、もう一歩奥にあります。
歌は、覚えている人が歌わなくなった時に、本当に消え始める。
だから、歌うことは記憶を守る行為でもあるのです。
家族の中に残る「呼び戻す力」
Kamaさんの家族には、今も音楽やハワイ語 / 文化語hula(フラ)踊りだけでなく、meleや詠唱、物語の表現と結びつくハワイの実践。本章では家族内で続く活動として登場。に関わる人たちがいます。スポーツや別のことが好きな子もいる。hulaを踊る子もいる。音楽をするのが好きな子もいる。家族の子どもたちも、それぞれに音楽やhulaの技を持っていると語られます。
ここで面白いのは、Kamaさんが子どもたちに無理やり音楽を押しつけようとはしていないところです。
自分たちも若い頃、家族の歌から逃げていた。その記憶があるから、次の世代には自然に任せたいという感覚がある。
でも同時に、今なら祖父母や親たちが「家族の集まりには来なさい」「歌いなさい」「せめて何曲か覚えなさい」と言っていた理由もわかる。
若い頃には少し面倒に感じた言葉が、大人になってから別の意味を持ち始める。これは、Kamaさんの家族だけの話ではないと思います。
日本でhulaや音楽文化Hawaiian music本章では、ホテルや家族の集まりなど、特定の場で人から人へ受け渡されてきた音楽として語られる。を学んでいる人にも、近い感覚があるかもしれません。最初は振付や歌詞を覚えることで精一杯でも、時間が経つと、「この曲を誰から受け取ったのか」「誰に向けて歌っているのか」が少しずつ大きくなっていく。
Kamaさんは、音楽の背景を持つ家族には、思い出すための支えがあると話します。曲を忘れたら、いとこに電話できる。家族の録音を聴き直せる。友人、家族、録音。それぞれの方法で、記憶を呼び戻すことができる。
けれど、そこで本当に根づかせるべきものは、音楽だけではないとも語られます。
ハワイ語 / 文化語kūpuna祖父母・先祖・年長者などを含む語。本章では、歌だけでなく働き方や人への姿勢を示した先人たちを指す。が朝早くから働き、みんなが帰った後も人の世話をしていたこと。そういう姿を見て学ぶ場所が、今は少なくなっていること。
この章の大事なところは、歌の話が、すぐに生き方の話へつながるところです。
音楽を残すとは、音だけを保存することではない。
その音を生んだ態度、働き方、人への向き合い方、場を守る感覚まで含めて、次へ渡すことなのだと感じます。
地名Waikīkī(ワイキキ)ホノルル南岸の地区。Kamaさんは、ホテルやリゾートから音楽が聞こえ、演奏場所を選べた時代を振り返る。に音楽が満ちていた時代
話は、家族の記憶から、ハワイの音楽の「場」へ広がっていきます。
Kamaさんは、今のHawaiian musicは、自分たちで場を作らない限り、探しに行かなければ出会えないものになっていると話します。もちろん、今もHawaiian musicを聴ける場所はあります。Kamaさん自身が働くリゾートにも、ありがたいことに毎晩Hawaiian musicがあると語られます。
けれど、昔のWaikīkīは違っていました。
歩道を歩けば、ホテルやリゾートからHawaiian musicが聞こえてくる。島々の音楽があちこちにあり、どこへ行くかを選べる。誰がいつどこで演奏しているか、みんなが知っている。
Kamaさんは、若いミュージシャンだった頃、ある人気の演奏場所へ音楽を聴きに行った思い出を語ります。時間に遅れると施設 / 飲食店Zippy’sハワイで展開するローカル飲食店チェーン。ここでは、人気演奏を聴きに行く際の駐車場所の目印として登場。の近くか、もっと遠い場所に車を停めるしかなく、車が無事か祈るような状況だった。それでも行ったのは、音楽が本当に良かったから。
別の音を聴きたければ、木曜の夜はあそこ。ホテル / 演奏場所HalekulaniWaikīkīのホテル。本章では、場所ごとに異なるハワイアン音楽を聴けた時代を示す演奏先として名前が出る。へ行けば、また別の音がある。そういう地図が、身体の中にあった時代です。
今は、その場が少しずつ減っています。
これは懐古だけの話ではありません。場が減ったなら、場を作る必要がある。自然に聞こえていた音楽が少なくなったなら、意識して届ける仕組みが必要になる。
Hawaiian Music Archiveは、動画や記事を並べるだけではなく、そういう声に出会い直す入口にもなれるかもしれません。Instagramで初めてKamaさんの言葉に触れる人。昔の音楽を知らなかった日本の読者が、「この人たちの話をもっと聞きたい」と思うきっかけ。
失われた場を、そのまま戻すことはできません。
でも、次の形で場を作ることはできます。
「こう弾くんだ」と言われる学び
この章の後半では、Kamaさんが先人たちから現場で教えられた話に入ります。
Kamaさんは、前の世代の人たちが良い道、良い土台を残してくれたと語ります。年を取りすぎたと思わないこと。学び続けること。自分が一番だと誇らないこと。
そして、昔の学び方はかなり厳しかったとも話します。
年長者たちが来て、「こう弾くんだ」と言う。コードを見せ、弾き方を見せる。教わった後にもう一度間違えると、すぐに言われる。今のように相手の気持ちを細かく気にする時代ではなかった、とKamaさんは笑いを交えながら振り返ります。
その流れで、Kamaさんが祖母の友人として記憶する女性ミュージシャンとのエピソードに入ります。
Kamaさんは一度、彼女の代役として演奏することになりました。最初はKamaさんがギター、彼女が音楽用語ʻukulele(ウクレレ)ハワイで広く親しまれる4弦楽器。ここではギターとの担当を交代しながら、演奏現場で教わった過程を示す。を弾いていたようですが、ギグの終わりには役割が入れ替わっていたと語ります。
彼女はKamaさんに、こういう趣旨の言葉を伝えます。
その曲を弾けると思っていたよ。
でも、これが私の知っている弾き方。あなたのUncleから教わった弾き方なの。
そして、曲の作曲者たちの名前を挙げ始める。Kamaさんたちが単純に弾いていたところでも、先人たちは細かくコードを変え、上がったり下がったりしながら、歌に命を与えていた。
Kamaさんはそこで、Uncle Anthonyが語っていた「音楽用語ハーモニー旋律に別の音や声部を重ねて響きを作ること。ここでは、歌を支える和音の動きについての記憶として現れる。」あるいは「音楽用語ハーモニクス(倍音/倍音奏法)倍音、または弦の特定位置に触れて倍音を出す奏法を指す語。ハーモニーやpassing chordとは別概念。」という言葉を思い出し、自分がいま理解していることとして、複数のpassing chordsが曲に動きを与えるのだと説明します。
この場面は、ハワイアン音楽を学ぶ人にとって、とても大事です。
コードを増やせば偉い、という話ではありません。むしろ前の章では、相手によってはシンプルに寄り添うことも学びだと語られていました。
でも、ある曲には、その曲を大切にしてきた人たちの弾き方があります。誰が作ったのか。誰から誰へ渡されたのか。どこでコードが動き、どこで歌が息をするのか。そこには、単なる伴奏以上の記憶が入っています。
この人物についてKamaさんは、祖母の親しい友人で、優れたミュージシャンであり歌い手だったと語ります。その人が、現場でまたKamaさんを「英語表現 / 現場語schooling学校教育というより、演奏現場で厳しく具体的に教え込むこと。ここでは先人から直接、弾き方を正される経験。」する。
Kamaさんほどの音楽家であっても、まだ学ぶ。
そこに、この章のもう一つの主題があります。
Lani Records編集コメント: 声のまわりにある記憶
Chapter 3を読み物として整えると、中心にある言葉はとてもシンプルです。
歌わなければ、記憶は消えていく。
けれど、その周りにはいくつもの層があります。
家族の集まりで歌うこと。いなくなった人を思い出すこと。子どもたちに無理強いせず、それでも何かが自然に残るようにすること。Waikīkīから音楽の場が少なくなっていること。残っている場所に感謝すること。先人の弾き方を、ただ懐かしむのではなく、現場で学び直すこと。
KamaさんとKeaoさんの対談は、ハワイアン音楽を「遠くの美しい文化」としてではなく、人の手と声で守られてきたものとして見せてくれます。
その見え方を、こちら側からひとつの答えにまとめてしまう必要はないのだと思います。
歌詞や発音を丁寧に学ぶことは、もちろん大切です。けれど、Kamaさんの話を聞いていると、ハワイアン音楽という文脈で大切なのは、その曲が誰に大切にされ、どんな場で歌われ、どんな系譜の中で今に届いているのかを知ることでもあるのかもしれません。
歌うことは、記憶に触れること。
そして、その記憶をどう受け取るかは、聴いた人、歌う人、それぞれに委ねられているように感じます。
![ラニレコーズ[Lani Records]](https://records.lani.co.jp/wp-content/uploads/2024/04/cropped-Lani-Records.png)
